組織も規模が大きくなると、上の方の役職に就く人は、現場の細々としたことは知らなくて良いということになるらしい。大局的に判断するというと聞こえはいいが、実体は、現場を知らないから大雑把にしか理解できていないというだけだ。ソフトウェアの世界で言うと、プログラムなんか書けなくても良いということになる。果たしてそうだろうか?「書けない」と「書かない」のは違う。トラブルがあって緊急状態に陥ったとき、「現場に聞かないとわかりません」と言い訳したら、危機管理能力がないと罵倒されることだろう。実際のところは、そんな言い訳をする人は、危機管理能力だけではなくて、もっと必要な業務遂行能力すら足りていないんだろう。まぁ、世の中、そう有能な人ばかりではないから贅沢は言わないまでも、まだましな方の人が出世していってると信じたい。
そんなことを考えていたところで、この本を読んでみた。小規模なプロジェクトにおける「ソフトウェア工学」を否定している。優れたプログラマーは「平均的な」プログラマーよりも10倍能力がある。そういう人を職人と位置付け、徒弟制度のようなチームを作って人を育てようという話。書かれている内容は、ソフトウェア開発に携わる人ならば、ぼんやりとでも感じたことがあるようなことばかりだ。それでも読み終わったときのある種の絶望感はなんだろうか?御説ごもっともなんだけど、ちょっと夢想的過ぎるのかもしれない。
ソフトウェア開発がビジネスで行われる場合、企業という組織の中で実施されることになる。そして、その企業の組織モデルから作り変えなければ、本書のような徒弟制度モデルは到底実施できそうにないからだ。そしてそのような組織を作ることができる人材は、やはり職人の中から選ばざるを得ない。そうすると、管理者と職人の位置付けが微妙になってしまい、結局は旧態依然の組織ができあがってしまいそうな気がする。
おぼろげながら自分自身も経営者として、このような徒弟制度モデルに基づく企業を構築することができれば良いとは思うのだが、他にそういう会社があれば、喜んで「職人」としてそちらに参加したいというのが本音なのだ。